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感謝創造

第1回産業論文コンクール 努力賞
(株)精和工業所 吉田 直理さん

『感謝創造』そう会議室の壁に掛けられている書を見てわたしは、「じぃん」としてしまった。メーカーに就職し、まだ数える程しか日数は経ってはいない。しかし、この『感謝創造』という言葉は後でわたしが入社した精和工業所の社是であることが判明する。
もともと創業時は現会長が戦後自転車に商品を積んで売り歩いていたところからスタートした会社だそうである。「創ることに感謝しよう」「社会に力をつくして寄与しよう」という心意気は物資もままならなかった戦後という時代背景から生まれたのだろうか。これからわたしも「ものを創るんだ!」という実感が湧いてきた。「じぃん」ときたのはその実感にある。
そもそもわたしは転職組で職業訓練校からこの精和工業所への内定を頂いた。『感謝創造』が社是の、この会社にわたしがどうたどり着くこととなったのか。個人的変遷を時系列で振り返りたい。そして社会にどう関わっていくかということの見解を持ちたいと思う。
わたしの前職は、新卒で意気揚々と入社した流通業であった。最初の一年間は接客。小売業で商品を消費者に売るという行為は、流通の末端に当たる。当然、笑顔で「いらっしゃいませ」から始まる「はい、かしこまりました・少々お待ちくださいませ・お待たせいたしました・ありがとうございます・申し訳ございません・恐れ入ります・失礼いたします」の接客8大用語を体にたたきこんだ。売るということだけではなく、数字に対してもシビアに粗利率を考えて儲かる商品群を覚える。在庫の適正数や、一年を通しての季節、季節の商戦へのディスプレイなど、単に売るということをとってもそれを取り巻く業務やアプローチは本当に多岐に渡る。消費ということについて本当に考えさせられた時期であった。
二年目からは、在庫数を管理し、商品の仕入れを手伝うようになった。営業事務である。接客をしつつ適正な仕入数を見極め、また渉外を任せられようになる。ポップという小売店の店頭に置いたり、商品につけたりする広告作成にもいそしんだ。消費という面ばかりをみている日常は時々むなしくもなってくる。消費財でもわたしが扱っていたのは、食材とか日常用品ではなくてアクセサリーだったからかも分からない。
毎日消費する物資でも本当に必要最低限の物資というのは、わずかな物のはずである。戦後は本当に必要なものを世の中に流すはずだった「流通」業界は、今や飽和状態を通り越してしまった感がある。ダイエーや、百貨店の興亡しかりである。また飽和状態を通り越してしまった最たる結果をちらつかせるのは「クールビズ」そして、これから来るはずの「ウォームビズ」なのではないだろうか。本来「環境にいいことを」、という働きかけのはずが、ふたを開けてみるとその結果としては「夏のクールビズの経済効果は1000億円」ともいうそうである。「もの」が「流通」しているではないか。それもものすごい規模で。これは環境負荷が逆にかかっているに違いない、と思わせられる一消費者がいるということはなんだか本末転倒ではないだろうか。
消費を見てきて、上記でも消費者に向けて消費を鼓舞する側の立場にあったわたしは「儲け。儲け。」と日々、数字と対峙してきた。ボーナスで余裕も出てきたので、消費者を鼓舞するばかりでは面白くない。わたしは消費をしなくても資産運用の勉強をして社会人としてのグレードアップを目指そうと思い立ち、株を購入した。ペーペーの学生の金銭感覚だったわたしは経済についてここで「もの」の本当の流通について考えるようになる。
最初に買った銘柄はお菓子が好きだったので製菓の銘柄だった。そして長期運用のつもりで電力株。新聞の株価欄のページはめくってスルーするのみだったのが、毎日細かく並んだ数字や黒く塗られた数字を見るのが楽しくなってきた。もっとも世代的にトレードはネット上でのデビューではあったが。その後外貨預金や生命保険・医療保険と、視野は広がったがこれは余談となる。
「流通」という「もの」を流す業界は本当の末端であってその流れの源には「作る」という行為があるのだ、と株を通してわたしは理解できた。流れる「もの」にはお菓子銘柄で勉強した製菓にも当てはまるが、食べるもの、着るもの、アクセサリーのように身につけるもの、何にでもそのおおもとには作るという「製造業」が始まりの源で存在したのである。
ごくごく当たり前のことではあるが、「作る」→「売る」という図式。これを身をもって勉強したわたしにとって、おおもとの「作る」業界がある。と気づいたことは漠然と毎日を過ごしていた一販売員には大きな衝撃でもあったろうか。
一番のわたしの転機は結婚であったろう。
わたしは、社会人4年目に結婚をした。女性にとって生活のウェートを置くべきなのは、果たして仕事なのかそれとも、恋なのか。世の中に出回る書物や女性雑誌はその論議に言及しているものが本当に多いのではないだろうか。
わたしは両方選んだが、また営業事務から接客に逆もどりしてしまい、ライフステージとこれからの人生設計を照らし合わせて仕事をいったん辞め、職業訓練校「CAD・CAM技術科」に入所することに決めた。「CAD・CAM技術科」はコンピュータ利用によるデザインと生産(複雑な配線図を作ったり、機械部品をデザインしたりする)のを勉強する科である。
わたしの父は設計を生業としており、現場で組立をする日には、作業服で油まみれになって帰ってくる日々を少女時代から目にしていたし、なにより「ものを作っている」のに直結する理由でこの科を選んだ。教室にはハタチから四十代の方までいろいろな業界から来た悪く言えば失業者、よく言えば一緒に戦う同士がいて本当に勉強は楽しかった。「ねじ」ひとつとってもねじ山の形状の違いは多岐にわたる。図面にする時の線種はおねじ、めねじで、区別が必要であるし、ねじの種類でも並目、細目、テーパなど等たくさんある。今まで生きてきて、ひとつも知らなかったことである。
また、CADトレース技能検定の試験も夜遅くまで残って勉強した。半年の訓練後、冒頭の内定の運びとなる。社長はわたしの父の話から結婚している状況、訓練の様子までを理解してくださり、わたしは設計・開発から完成品までの「製造」の醍醐味に関与できることになって就職活動は終了し、訓練校も修了した。
先日、JISの分厚い辞書くらいの本が一冊まるまる「ねじ」の題名で職場の机の上にあったのを見つけて本当に度肝を抜かれてしまった。ねじひとつでこの始末である。本当に先行きが不安になったいっときであった。入社したあと、課長から言われて、また「じぃん」としたのは次のような内容だっただろう。関西なまりの言葉である。
「ものすご、むずかしそうな仕事でも、それはいろんな仕事が積み重なったから、できた仕事であって、そのひとつひとつは単純なことのつみ重なりなんです。(ひとつひとつ紐解くとなんと言うことはありません。)一緒に頑張りましょう。」
文系出身でびくびくもしていたがこの言葉と「感謝創造」の書でわたしはこれから頑張れる。と思った。
後にネットの辞書で検索してみたのは下記である。「産業=」1.生活に必要な物的財貨および用役を生産する活動。2.生活していくための仕事、職業、なりわい。「流通=」3.貨幣・商品などが経済界や市場で移転されること、特に商品が生産者から消費者に渡ること。
これからわたしは「産業」に関わっていくことができる喜びを仕事で職場の人々と共有できる。社会にどう関わっていくかという結論は、会社もそうだが、会社での、人とのつながりを持つこと。また「ひとつひとつの単純なことの積み重ねやねんや!」と思って送る、ささやかな日常にあるのではないだろうか。

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